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ミーコワールド

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2003年10月25日 「談 話」

昨日の日記を読まれた訪問者の方は「どうしてこんな事件が?」と

お思いの事でしょう。

この事件はすでに1986年当時から始まっています。

事件が事件として顔を覗かせ始めたのは、私の記録によると1988年8月1日でした。

数時間、彼等の塾の事務所に監禁(約2時間)されたのが始まりでした。

その時は2時間くらいで解放されました。

警察へ届けを出しましたが、怪我もしていない、何も盗まれていないという事で

事件としては非常に扱いにくいという事でした。

それでも扱って貰えたのは不幸中の幸いでした。

一見、彼等は一所懸命に力を合わせて塾を始めた外人と日本人という風にしか見えないのでした。

しかし、その後の経過の中でコンテンツ「ご心配かけます」のような内容の人々でした。

しかし、誰もそんな事があるとは疑いもしませんし、私だけが被害に遭っている情況でした。

その後、私への口による暴力はエスカレートしました。

彼等は決して手を出す、という事はありませんでした。

ただ、執拗に多人数で恐怖に陥れるという事の繰り返しだけです。

どこまでも、植木や花を壊す、それを告知してくる、睨む、つけまわすという事しかしませんでした。

20年近く経って初めて怪我をさせられた、という次第です。

しかし、それも彼等の首謀的存在の人物ではないのです。

ここまでのでき事がありながらどうして逮捕できないのか?

そういう疑問をお持ちの方は多いと思います。

多いというより、ほとんどの人がそう思うでしょう。

また、別の人は私が彼等に何かしたのではないか?と疑問をお持ちの方も多いと思います。

私は何もしていません。

むしろ、相手にしないでいます。

ならば、なぜ?

一言で言えば、「私の持つ不動産、土地、建物」を彼等から要求された時に贈与しなかった。

という事があります。

また、見てはならぬものを見てしまった。

という事があります。

何の縁もゆかりもない人に自分の生活手段である、土地、建物を贈与しなければならない理由は?

そんな事を考えてくれる人がどこにいるでしょうか?

また『見てはならぬもの』は、当時の日本にはかつて存在した事件ではありませんでした。

それからの事件経過を追ってくれているジャーナリスト達や警察関係者の努力で

今でこそ、社会の一部の人にようやく知られる所となっただけなのです。

初めての想像を絶する事件が世に知られるのは相当の時間を要するという1つの良い例でしょう。

また日本の現行法ではどうにもできない事件なのです。

その為に日本政府は世界中の国家と国交樹立を目指して外交政策を取っています。

一般国民にとって訳のわからない外交の一部分はこの事件も含めて解決に導く為の外交なのです。

お金も時間も労力もかかります。

さて、逮捕に持ち込むには現認と証拠が必要となってきます。

仮に現認しても証拠がなければなりません。

また、この条件を満たしたとしても裁判でどうなるかわかりません。

裁判で有罪が決定したとしても、相手国と国交がなければどうにもできないのです。

そうです。 彼等は国交のない国の人達ばかりなのです。

せいぜい国外退去命令を出すしかない人達なのです。

強制送還しようにも領事館も大使館もない国の人達なのです。

「そんなバカな」と思いの方がおられるでしょう。

しかし、それが今の日本の現状なのです。

国際情勢に日本の国家はついていけないでいるのです。

休憩します





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